笑う経営 平成28年9月

 

201609-1

リオ・オリンピックは日本人選手が大活躍でした。水泳、柔道、卓球など好成績を残しました。またバドミントンと競歩、カヌーなど史上初のメダルを獲得した競技もありました。加えてバドミントンと競歩は長野県出身の選手だということもうれしい限りです。

オリンピックは国レベルの競い合いになるので、愛国心を刺激され、つい応援にも力が入ります。自国の選手に熱い声援を送るのはどこの国でも同じですが、ブラジル人は特に自国選手への応援がものすごく、卓球や体操の試合を見ていてそれを感じました。隣でブラジル人が競技しているとものすごい歓声が沸いていました。他国の選手はさぞやりづらかったことでしょう。

残念ながら少し行き過ぎもありました。男子棒高跳びではブラジルとフランスの選手が最後まで競り合い、観客からブーイングを浴びる羽目になってしまいました。結局ブラジル人が勝ち、フランス人は銀メダルになったのですが、表彰式でもまたブーイングを受けてしまったのです。とんでもないことです。自国の選手を勇気づけるのはいいけれど、相手をおとしめるような行為は断じて許せません。

201609-2リオ五輪に重なるように、今年も甲子園で高校野球の熱戦が繰り広げられました。甲子園といえば、熱く、華やかな応援が印象的です。特にブラスバンドの響きは試合に欠かせません。

吹奏楽が演奏する曲といえば、以前は「チャチャチャ チャッチャ チャン」のコンバットマーチが主流でしたが、今は実に多彩です。中でもコンバットマーチに代わり応援歌の定番曲となったのがアフリカン・シンフォニーです。高校野球を観戦すれば必ずと言っていいほど耳にします。

この曲は吹奏楽がなくても「オーオー、オオオー オオオー オオオー」(音階名は、ラーレー、ラレドー ソドシ♭ー ファシ♭ラー)と声を合わせれば応援ができるので、地方大会などでもよく使われています。

この曲を初めて応援に使った高校は智辯和歌山で、1987年頃からというのが定説ですが、1979年明石南高校で演奏したという説もあります。また長野高校が発祥という説もあります。

1986年春の選抜、松商学園とともに北信越代表として出場した長野高校がこの曲を演奏し、その日先に試合を終えた智辯和歌山の応援団がこれを聴き、翌年夏の大会に初出場した時に使ったのではないかと、長野高出身者が回顧しています。

ブラバンの演奏は観ている人のためにあるのかと思うくらい、試合観戦を盛り上げてくれますが、本来は当然選手へ送られるものです。でも打席に立って集中している時に演奏など耳に入るのでしょうか。果たして選手は応援によって左右されるものでしょうか。答えはYesです。

今年の準優勝チーム、北海(南北海道)が準々決勝で聖光学院(福島)と対戦した時のこと。北海のブラスバンドは渋滞のため試合に遅れてしまいました。到着した時、試合は3回まで終わり、3対2と聖光学院にリードされていました。4回からは北海の応援にブラバンの演奏が加わりました。するとこの回2点をいれ逆転、5回にも2点、結局7対3で北海は準決勝進出を果たしました。88年ぶりの快挙です。ちなみに88年前、北海が4強に進出した昭和3年大会の優勝校は、松商学園(松本商業中学)です。それはともかく、試合後北海の選手は、4回からは演奏で気分がのって打てた、と語っていました。

一方、逆に相手の応援に飲み込まれてしまったケースが八戸光星対東邦の試合で起きました。9対5と八戸の4点リードで迎えた最終回、八戸の投手は勝ちを意識してか、最初からこわばっているように見えました。一人ヒットを打たれるとさらに緊張し、結局連打を浴びて5点を入れられ逆転負けをしてしまいました。タオルを振っての東邦への応援に、八戸の投手は、球場全体を敵に回してしまったような気分になり、冷静さを失ったのです。

これと似た経験があります。中学生の時、地域の野球大会でしたが、みんなで応援に行きました。点数は忘れましたが相手チームに大きくリードされた最終回、突如相手のピッチャーが乱れはじめました。私たちはそれに乗じて「ピッチャー焦げた」(焦ってるぞ、の意?)とか「ピッチャー、ノーコン」などと叫び始めました。それが効いたのか、投手は益々乱れフォアボールを連発し、ついに逆転。なんと勝ってしまいました。

しかしこれは応援でもなんでもない、マナー違反の単なるヤジです。妨害といってもいいでしょう。とんでもないことです。自校の選手を勇気づけるのはいいけれど、相手をおとしめるような行為は・・・、あれ?どこかで聞いたような・・・。

こういうことは選挙でもよく見られます。某大国の大統領選でも、相手候補に対する悪口の応酬に、品格のなさを感じます。ネガティブキャンペーンとしてこの国では当たり前のようですが、どうかと思います。大国の長となろうとする人がこんなことでは、と他国ながら心配になります。

日本でも東京の長を決めるとき、応援演説のつもりで相手の女性候補のメイクを揶揄したばかりに、自分が支援する候補者を自滅に追いやった方がいました。頭がいいのか悪いのか、知性と品性は、こうもリンクしないものなのでしょうか。

作家の阿川佐和子さんが連載するエッセイに行き詰まり、書くことに意義を見いだせず悩んでいた時のこと。電車の中である女性に「私は辛いことがあって悩んでいましたが、阿川さんのエッセイを読んで救われました。ありがとうございます」と言われ、阿川さんの方が号泣したそうです。その言葉で阿川さんも苦難を乗り越えられたのです。

やる気を出させてくれる、自分の能力を引き出してくれる、時に能力以上のこともやれてしまう周りからの応援って、本当にありがたいものですね。お店や会社が続けられるのも、応援してくださるお客様がいてこそです。

見込み客に価値あるものを無料で提供したり、役立つ情報を発信して、ファン化し、それから本当に売りたいものを買ってもらう、という手法が流行っています。この手法ではお客様を喜ばせるのは物を売るための手段です。これを続けていくと、気前のいいサービスには裏があると、お客様が気づきます。きづけばお客様の気持ちはひいてしまいます。

そうではなく、お客様を喜ばせることを目的とし、それに徹したらどうでしょうか。応援団をつくり続けることこそ、事業繁栄に一番大切なことではないでしょうか。

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