笑う経営 平成27年3月

1)歩く旅

201503江戸時代後期の作家、十返舎一九(じっぺんしゃいっく1765~ 1831)が今年生誕250年を迎える。代表作は東海道中膝栗毛。弥次、 北というキャラクターの生みの親として人気を博した一九は、日本で 初めて文筆を生業とした人物で、職業作家のさきがけとなった。

彼は娯楽としての旅を描いた。そのころの交通手段は誰もが持っている二本の「脚」。もちろん馬もあったが、一般庶民にとっては今の車 や列車以上のもので、手の届かないものだったに違いない。自分の脚 (膝から下)を栗毛の馬に見立て、歩いて旅をすることから膝栗毛(= 徒歩旅行)という言葉が生まれた。

弥次さん北さんは東海道にとどまらず、続編では安芸の宮嶋や金毘羅、善光寺などにも足を延ばしている。一九のその他の作品や、一九 自身が訪れた地は、北は恐山、南は大宰府天満宮に及ぶ。当時は何日も時間をかけて遠い遠い目的地を目指してひたすら歩いたことだろう。

 

2)速い旅

あれから250年、人々は膝栗毛という乗り物をとうに捨て、 鉄道、飛行機、車と高速交通手段に依存しきっている。そしてまた日本が縮まった。総工費1兆7900億円を投じて延伸された北陸新幹線が、3月14日に開業する。その一番列車の切符は、一ヶ月前の 2 月14日10時に受け付け開始。俗に 10 時打ちが全国のみどりの窓口 で行われた。一番列車「かがやき」(934席)は上下線ともわずか25秒で完売された。

長野野〜金沢間が 1 時間少々、東京〜金沢間が最速2時間28分で結ばれる。北陸が日帰りでもゆっくりと楽しめるエリアとなった。 だが、その代償として、並行在来線は第三セクターへと切り離され た。ただでさえ赤字の路線が通院、通学、生活の足として生き残りを かけなければならない。在来線を引き継ぐ鉄道会社は、出発点から過酷な経営環境に置かれてのスタートだ。

北陸新幹線の開業と刻を同じくして、消えていく列車がある。最後のブルートレインとして君臨していた「北斗星」と、一度は乗りたい と人気が高かった「トワイライトエクスプレス」がそれだ。北海道新幹線の開業は来年の春だが、車両の老朽化、設備工事、訓練運転によ るダイヤ上の問題により、繰り上げの「お別れ」となった。

北斗星は日本国有鉄道がJRとして生まれ変わった翌年の1988 年、上野〜札幌間に誕生した。その6年前にすでに東北新幹線が大宮 〜盛岡間で開業している。

かつて北斗星に乗って北海道を旅行する計画を立てたことがあるが、 何回も10時打ちに阻まれ、どうしても全員の切符がとれず、断念したことがある。それほど人気の列車だ。速度では新幹線に敵わないのに、この列車が大変な人気者になったのは、フレンチのコースディナー である。点から点への移動手段でしかなかった列車がラグジュアリー な空間へと変化した。

「トワイライトエクスプレス」はその翌年運行開始。「スイート」「ロイヤル」といった優雅な個室、大きな窓を持つ展望ラウンジカーが特 徴だ。フレンチのコースは 12,000 円!それでもなかなか予約の取れない「一度は乗りたい列車」のチャンピオンになった。

捨てる神あれば拾う神、という訳ではないが、そんな消えていく豪華列車を見越して現れたのがJR九州の「ななつ星 in 九州」。3 泊4 日で48万円〜(最高130万円)という「超豪華列車」が誕生した。それでも10ヶ月先まで完売と言う。

JR東日本でも同様の超豪華列車を開発中という。大量輸送という 本来の役目と、贅沢な時間の提供という二極にJRは移行している。

一方我々日本の代表たる庶民は、ゆっくりと旅を楽しむことはできないのだろうか。

 

3)乗る楽しみ

最近、元気な第三セクター鉄道、地方私鉄に共通する キーワードは「グルメ列車」。全国で10以上の路線でグルメ列車が 走っている。近い所では、しなの鉄道で、昨年より「ろくもん」を運行中だ。新幹線金沢延伸に伴う観光客減少を予想し、新しい目玉を造る中でろくもんは生まれた。

東北信の味わいを満載して走る車両はどことなく、ななつ星に似て いる。それもそのはず「ろくもん」も「ななつ星」のデザイナー水戸 岡鋭治氏に協力を得て開発されたからだ。木のぬくもり、車内は乗る人を楽しませる仕掛けが盛り込まれている。

「軽井沢〜長野間は、沿線料理人をうならせる美味しい食材の宝庫 であり、朝採れの高原野菜やみずみずしい季節の果物。旬を活かした 料理を地元の有名シェフが腕を振るいます」がろくもんのウリ。

憎いのは上りと下りで料理の内容が違うところ。ろくもん1号(下り 軽井沢→長野)では洋食コース、ろくもん2号(上り 長野→軽 井沢)は和食懐石になっている。リピーターにならざるを得ない。(料金 12,800 円)

東京から特急で僅か1時間15分の外房、大原駅。ここから出てい る「いすみ鉄道」は一昨年、JRから気動車を購入した。大糸線と高山線をそれぞれ最後に活躍した、国鉄を代表する車輌だ。これだけで も充分に知名度が上がるところだが、ここの異業種出身の社長は自社 のことだけを考えてはいなかった。

「うまい魚が沢山上がるんだ。もっと多くの人に知って欲しい」

近隣のホテルに協力を得て、漁港の発展も視野に入れた。一人 14,000 円(乗車賃込み)と言うが、人気はかなり高い。

かつて東海道新幹線にも食堂車があった。東北新幹線にもビュッフェがあった。束の間の時間、食堂車でビールを並べて同僚と憂さ晴らしをされたお父様方も少なくありますまい。

経営上の理由で営業を縮小されて、日本全国の定期列車中、食堂車が残るのは「カシオペア」一本のみとなってしまう。それはそれでとても名残惜しいのだけれど、日本各地にあるローカル線のグルメ列車 に乗るのはとても楽しみだ。温泉地に泊まりに行くほど、時間なり予 算なりのゆとりがない人でも、グルメ列車には惹かれるだろう。

201503-2乗車人口が減り、減収が止まらないという経営体質を基本的に抱えているのが地方鉄道だ。単純にそろばんをはじけばそのまま廃線が賢 い選択に思える。その前に、鉄道の新たな役割を模索してみることは 大切だ。存続するためには移動目的以外の顧客を創造せざるを得ない。その中で、地元を巻き込んで、地域の活性化の原動力になればもっとよい。

この姿勢はなにも地方鉄道 に限ったことではない。どんな業種、業態にも通じる。もちろんあなたの事業にもあてはまることなのだ。景気が悪 いと単にあきらめ嘆いているだけでは経営者とは言えない。 地方鉄道の必死の取り組みに 学び、自らも常に脱皮していくことである。

先ほど日本は縮まったと書 いたが、ある人に言わせると、 昔のほうが日本は狭かったという。なぜなら「昔は日本中どこも〝歩ける範囲内〟だったから」膝栗毛おそるべし。

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