笑う経営 平成26年5月

夢がしぼむ虚像

warau201405一時はノーベル賞かとまで湧いたSTAP細胞。生物学上、世紀の大発見に日本中が騒然となりました。日本人にとって、久々の喜ばしいビッグニュース、だったはずなのに・・・その後の展開はご存じのとおり意外なものでした。

研究活動がSTAPならぬSTOPになってしまったと、うまいことを言った人がいますが、ねつ造疑惑まで出る事態となり、残念です。

この研究が進むことで、従来、他の人の臓器を移植しなければ助からなかった患者も自分のSTAP細胞から臓器を作り出して移植することができる、不妊症に悩む女性のSTAP細胞から胎盤を作り直して子供を産めるようになるなど、患者さんたちに明るい光がさしました。さらに若返りや長寿を可能できるなど夢は尽きません。

その夢が一気にしぼんでしまいました。STAP細胞の存在は果たして幻想だったのでしょうか。

「STAP細胞はあります!」

という小保方研究リーダーの叫びは、実務の世界では何ら疑惑を払える力はありませんが、心情的には「そうであって欲しい」と祈りたい気持ちに一縷の望みを残してくれました。

私たちはつい虚像におどらされてしまいます。虚像ということすら気づかないことが多いのです。

「平成のベートーベン」と異名を持つ耳の聞こえない作曲家の騒動がありました。聴覚の障害を乗り越えて作曲する、と魅了された多くの人達がこの作曲家に抱いていたイメージが虚像だったことが明るみに出ました。実際は作曲していなかったというだけならまだしも、耳が聞こえないことも嘘だったとなると、二重に騙されていたわけです。障害を持つ人の夢を砕きかねない事件です。

松本市にあるS教学園。私はこの小中一貫校を作ったY元理事長に独自の教育方針で学校を創った素晴らしい教育者、というイメージを抱いていました。最近、元理事長の不正が発覚しました。S教学園で教職員をしている人とたまたま知り合い、実態を聞けば、Y元理事長に対するイメージは虚像に過ぎなかったのかと、これまた残念な思いです。

虚像といえば、いまだに電話の声が自分の息子の声と信じてお金をとられる事件が相次いでいます。こういう虚像の使い方は許せませんね。

罪のないところではこんなものもあります。パンの間にハムとかチーズとか野菜などをはさんだ食べ物をなぜ「サンドウィッチ」というか知っていますか?サンドウィッチとは人の名前で、サンドウィッチ伯爵というイギリスの貴族が大変なギャンブル好きで、食事の間もパンに料理を乗せて食べながらギャンブルを続けていたためその名がついた、とされています。

しかし真実は違うようです。サンドウィッチ家によると、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンターギュ(1718~1792)は海軍大臣の仕事がものすごく忙しくて、昼食の時間がとれず、サンドイッチを作らせ、仕事をしながら食事をした、という話です。どちらが本当でも一般には実害はありませんが、サンドウィッチ家にとっては心外です。ギャンブル狂か偉大な政治家か、名誉にかかわる大問題です。

ハヤシライスはハッシュドビーフが語源?段々どうでもいい話になってきましたが、ハヤシはハッシュが訛ったものだという説が一般的です。実はその名のとおり「ハヤシ」さんが考案した料理から、という説があります。

丸善の創業者、早矢仕有的(はやしゆうてき1837~1901)は医師で、横浜の病院に勤務しているとき、栄養食として牛肉や野菜を刻んでごった煮にしご飯にかけて食べる料理を考えた。それで早矢仕先生にちなんでハヤシライスと呼ばれるようになったそうです。

織田信長と明智光秀の不仲は虚像だった。一般的にはほぼ間違いなく信長は光秀を毛嫌いしていた。光秀をイジメ抜く信長というイメージがすりこまれています。光秀公の子孫、明智憲三郎さんが本能寺の変の真実を探って「歴史捜査」をしました。証拠となる資料が客観的かどうか大変厳密に吟味しながら研究した結果は、意外なものでした。

歴史の教科書には簡単に天下を取りたいがための謀反とされていますが、実際はそんな単純な動機ではなかったようです。そこには足利将軍家、天皇家、そして家康、秀吉の思惑が複雑に絡み合った事情の中で事件は起きたのです。(詳しくは明智憲三郎著「本能寺の変431年目の真実」)

その憲三郎さんが光秀ファンを前にして、躊躇しながら口にしたのが「光秀と信長は敵対関係にはなかった」という実像です。なぜ躊躇したかというと、光秀ファンからすると信長は光秀を苦しめた悪い奴、ということになっているので、二人の仲が良かったというとガッカリさせるかもしれないと配慮したからです。

信長と光秀は戦略的に不仲な虚像を作り上げていたようです。また信長を後継した形となった秀吉は、自己の正当性を主張するために情報を操作し、光秀は反逆者という虚像を作り上げたとされています。

原発の安全神話も虚像でしたね。私たちは気が付かなければなりません。ことさら何かを強調するには必ず裏があることを。以前流されていた原発のCMは、核廃棄物は地中深く埋めちゃうから安全なんだよ、っていう洗脳に近い、それはそれは優しいアニメ映像でした。これを見たとき、やはり原発は、本当は危険なんだと感じました。

 

夢がふくらむ虚像

虚像は悪かというとそうとも言えません。そもそもビジネスは虚像のおかげで成り立っているところが大きいんです。

ある新聞記者があるプロ野球団を取材したときの話です。高卒ルーキーが新聞の社説を読んでいました。

「勉強になるから読むようにしているんです」記者は感心して、「社説も野球の題材に」と褒める記事を書きました。あとでこの選手、普段新聞など読まず、記者の前だけのパフォーマンスだったことがわかりました。記者は自分のお粗末な取材を反省した、というエピソードですが、誉めるべきはこのルーキー。「できる選手」と思わせる虚像を抱かせたとは、新人にしては見上げたプロ根性じゃないですか。プロ野球選手は自分が商品です。この場合は真実を伝える必要はありません。自分がプロとしてどう見られたいか。それを作るのが大事です。

コマーシャルは虚像で成り立っています。この車に乗れば颯爽と街を駆けて活き活きと活躍している虚像を抱かせます。この教材を使って勉強すると外国人と英語でスラスラと話せるようになっている虚像。この健康食品を食べると若返って、病気知らずの健康になって、もう死なないんじゃないかと思うくらい元気になる、という虚像を与えてくれます。

これを真実で固めたらどうでしょう。この車に乗ったからって、仕事ができない人ができるようになるわけではありませんし、維持費もかかりますよ。この教材で勉強した結果、平均的にはしどろもどろの英会話程度ができるようになった人が一番多いです。この健康食品はそもそも病気を治すものではなく、こういう成分が入っていますが、吸収力には限界がありますし、健康への効果があるかどうかは実証されていませんが、良くなったという人がいます。

これでは夢も希望もしぼみますよね。このように真実を伝えることが必ずしも良いとはいえないのです。嘘や騙しはいけませんが、虚像を正しく使って、人々に夢と希望、勇気、やる気、活力を与えるのがビジネスです。

お店やそこで行われるサービス、提供する商品で、お客様に前向きな虚像を抱かせることで物が売れ、それが虚像でなく実像になったら、それを買った人も売った人も大きな喜びを得ることができます。お客様の夢を膨らませる虚像、お客様を喜ばせる虚像ならどんどん仕掛けていきましょう。

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