笑う経営 平成27年12月

共に栄える心

usagi

「しあわせへのまわり道」という映画を観ました。ニューヨークの売れっ子書評家ウェンディは夫の浮気で突然夫婦生活が破局してしまいます。それまでアッシーをしてくれていた夫がいなくなり、自分で運転をしなければならなくなりました。

「運転なんかできない!」

そう思い込んでいるウェンディも、インド人の教官にやんわりと誘われ、免許を取ってみようと、思い切って一歩を踏み出すお話です。自分にはできないという思い込みを外すと、案外大抵のことはできてしまうものです。そうして自分の枠を広げると、そこには新たな世界がひろがっています。

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さて、先月に続き、「ウサギとカメ」の話をします。先月はカメのごとくゆっくり確実にコツコツやるのが成功の秘訣という意味で話題にしました。この話は意外に深くて、もう一つ別の読み方があります。

普通はまじめにコツコツがんばったカメは偉くて、慢心したウサギは悪いと言われますが、あるインド人はウサギとカメについて、こんなふうにとらえました。

「ウサギは悪くない。悪いのはカメだ」と。

カメはウサギを追い越すとき、うっかり寝過ごしているウサギになぜ声をかけてあげなかったのか。ウサギを起こしてやるべきではないのか。それをしなかったカメは友情がない。そんなカメは悪い亀だ、という考え方です。

なるほど私たちは勝つことばかりに目がいって、相手が不利な状況ならなおのことそこにつけこんでまで、勝とうとしてなかったでしょうか。

確かに言われてみれば、カメとの競争として考えればウサギの行動は不思議なところがあります。勝負ならばなぜゴールを決めてからゆっくり休まなかったのでしょうか。決着をつけずに、わざわざゴール手前で休むとは不可解です。それはやはりカメを待ってあげたと考えたほうが納得できます。

別の国でも、ウサギはゴール手前でカメを待って、いっしょにゴールしようとしたのにうっかり寝過ごしてしまった、それなのにカメはひどい、と解釈するところがあるそうです。

「ウサギを見捨てて、自分が勝つことばかり考えているカメを好きだというのなら、そんな日本人なんて大嫌いだ」

とこのインド人は言ったそうです。

日本人は自分だけの利益、繁栄しか求めない国民なのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。日本にも「弥栄」(いやさか)という言葉が古くからあります。弥栄とは、人々がお互い与え合って共に栄えるという姿勢のことを言います。

NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」のヒロインのモデルで大同生命の創立者、広岡浅子は京都の三井家の出で、大阪の豪商、加島屋(大同生命のルーツ)に嫁ぎ、そのビジネスセンスを大いに発揮するのですが、この加島屋さんは多くの社会貢献をしたことでも知られています。

加島屋はもともと諸藩との金融取引で豪商として繁栄していました。しかしその富を「難渋民なんじゅうみん」といわれる生活困窮者や被災者へ援助を行ったり、天保の飢饉や安政南海大地震に際して、積極的にお米やお金を寄付し被災者救済をしたり復興支援を行いました。弥栄の心を持って商売をしていたのですね。

目標設定が成功の決め手

そもそもカメはウサギと競争しようとしたのが間違いです。カメとウサギは異質なものですから、競争すること自体がナンセンスです。

「もしもしカメよ、カメさんよ。世界のうちに、おまえほど歩みののろいものはない。どうしてそんなにのろいのか」

余計なお世話ですよね。カメをバカにするウサギも褒められた態度ではありませんが、

「なんとおっしゃるウサギさん。そんならお前とかけくらべ。向こうのおやまの麓まで、どちらが先にかけつくか」とウサギの挑発にのり、自らかけっこ勝負に出るカメもカメです。

「世界一歩くのが遅くて何が悪い」と流しておけばいいのに、自分からもっとも不利な競争をしかけるというのは、なんと愚かなことでしょう。たまたまウサギが寝て待っててくれたからたまたま勝てましたが、ほんとうはそんあ無謀なことはしてはいけません。せめて硬い甲羅を自慢するとか、万年生きる長寿を自慢するとか、ウサギにない、自分の強みで張り合えばいいのです。

人と競争するのでなく、自分との戦いに置き換えればどうでしょうか。例えば平幕力士が横綱、大関に全部勝つと目標を立ててもそれは無理です。それより、横綱と対戦したときに、勝ち負けに関係なく、前より立ち会いをうまくしようとか、簡単に投げられないようにしようなど、前の自分の相撲よりどこか一つ進歩した相撲内容にするという目標ならばどうでしょうか。これなら達成することは決して不可能ではありません。

成功に関する本や資料をよく読みますが、願いことを具体的にイメージすることや、「~したい」ではなく進行形で表現するとか、行動を起こすことの大切さばかり強調されます。

一方、目標を適切に設定することが軽んじられているように思えます。努力の仕方より目標の持ち方が大事です。やりたいことできるだけをたくさん挙げなさい、大きな目標を持ちなさいと言われますが、目標は大小でなく、自分にとって必要かどうかです。やりたいと思うことをあえて捨ててみましょう。あれをやりたい、これをやりたい、それを、そんなことやらなくてもいい、と捨てていくのです。捨てて捨てて捨て切ったときに、あなたが本当にやらなければならないこと、やりたいことが自然と浮かび上がってきます。それだけをやればよいのです。何も浮かびあがらなければ、それはそれでいいのです。ムリに何かをやろうとする必要もありません。

成功するためには、目標を正しく決めることのほうが大切です。人と比べてはいけません。人と競争するのではなく、今の自分との競争です。ほんの少しでもいいから今までにない能力や知識を身につけてみる。今ある能力を少しだけ伸ばしてみる。そんな小さな成長をコツコツやることが成功の実を結びます。

さて冒頭のウェンディですが、挫折しそうになりながらも2回めの試験で合格。無事運転免許を取得しました。自分で運転する車で、新たな人生へと再出発するのでした。

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