赤と青
夕焼け空が真っ赤っか、トンビがくるりと輪をかいた♪
夕焼けとんび(作詞 矢野亮、唄 三橋美智也)
見ろよ青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう♪
だまって俺について来い(作詞 青島幸男、唄 植木等)
と歌われるように、夕焼けは赤く空は青い。どちらも懐かしい歌ですね。ところでどうして夕焼けは赤く、空は青いのでしょうか。
夕焼けが赤いのも、空が青いのも、地球の空気層を太陽の光が通ってくるために起こる現象です。日中は太陽が真上から照らします。沈むにつれて、太陽は真上から横に移動します。太陽の光が空気層を通る距離は、真上に比べて横の方が距離が長くなります。
日中は空中のチリのため、波長の短い青はチリにぶつかって光が散らばり、波長の長い赤はチリをすり抜けてしまいます。それで昼間、空は青く見えるのです。ところが夕方は赤い光もチリにぶつかり散らばり始めます。一方、青い光は波長が短い為、遠くまで光は届きません。地上の私達には赤い光のみが散らばって見えるので夕焼けの空は赤く見えるのです。ちなみに火星の無人探査機スピリットから送られてきた写真で火星の夕焼けは、青かった。光の散乱の仕方が地球上と違うからです。
10月7日、青色LEDの開発、実用化による功績で三人の日本人のノーベル物理学賞受賞が発表されました。日本中が青い光で沸いた翌日は、皆既月食の赤い月で日本中が沸きました。月が完全に地球の影に隠れると、地球の大気で光が屈折して赤黒く見えるのです。青色LEDを発明した科学者が、赤崎さんだというのも因縁めいています。
神様のごほうび
青色LEDが開発される背景には通算1500回の失敗の連続があります。もちろん開発成功はそうした赤崎さんと天野さん二人の研究者の根気と努力の結果ですが、開発過程には偶然も働いています。決め手となる窒化ガリウムの結晶を作るとき、装置の不具合で高温が出せず、逆にそれが結晶作り成功のきっかけになったそうです。
ハプニングや失敗、何らか偶然をきっかけに予期しなかったもの発見する力のことを、セレンディピティといいます。いわゆるニュートンのリンゴですが、こうした偶然は、大きな発見、発明にはつきもののようです。
有名なところではペニシリンの発見です。イギリス人医師フレミングは、兵士たちの感染症に効く薬剤を探求する中、ブドウ球菌を培養中、偶然青カビが混入、捨てようとしたとき、よく見るとカビの周辺ではブドウ球菌が消えていました。青カビには細菌の発育を阻止する力があることに気付きました。
もっと身近にはこんな例もあります。ある研究者が、一生懸命痛み止めのシロップをつくろうとしてがんばっていました。なかなかうまくいきません。ところが失敗の山の中に妙にいい味なのがあったので、助手に冷たい水を加えるように指示したら、助手が間違って炭酸水をいれてしまいました。世界で最も普及した炭酸飲料コカ・コーラは、二重の間違いによって生まれたのです。
ようやく作った接着剤が粘着力が弱くて大失敗でした。そのおかげで落ちない程度に軽くくっつくしおり、はがせてまた付けられるしおり「ポストイット」が誕生しました。
あるメーカーでは、金型を使っておせんべいを作っていた。あるときその金型が踏まれて、形が歪んでしまった。歪んだ金型をそのまま使ってあられを焼いたら三日月型に。最初はその形のせいで売れなかった。ある日、小売店の人が「形がおもしろい。まるで柿の種みたいだね」といって買っていきました。「柿の種」の誕生です。(踏んだくらいで金型が歪むか疑問ですが)
ノーベル賞に戻りますが、2002年、ノーベル化学賞の田中耕一さんもまた偶然に助けられて研究は大きな成果を生みました。遺伝子が作り出すタンパク質の姿と働きを明らかにする研究ですが、難しい話はとばして、開発のきっかけは偶然、というより間違いです。コバルトの微粉末に間違ってグリセリンをたらしたら、うまくいってしまったのです。「まったくの偶然で,まさに瓢箪から駒」と田中さんは述懐しています。
ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈さんも、半導体結晶の実験中、未熟なアシスタントが多量の不純物を含む半導体サンプルを作ってしまいました。これを測定したら、思いがけずエサキダイオードを発明したのです。
だいたいノーベル自体が偶然によってダイナマイトを開発しています。ちょっと揺らしただけで爆発してしまうニトログリセリンをどうにかして安定させようとして、色々な物(木炭・セメント・レンガなどの粉)を混ぜたりしましたが、なかなか成功できませんでした。
ところがある日、運搬中のニトログリセリンの保存容器が壊れて、そこから漏れたニトログリセリンが容器を固定していた珪藻土(けいそうど、コテ塗りの壁材などに使われる)に染み込んで、固まっているのを発見しました。この固まりが爆発しないことを発見し、ダイナマイトの発明へのきっかけになったと言われています。
偶然の産物というと何だか楽をして成果を生んだように聞こえますが、とんでもありません。偶然は簡単には訪れないのです。
例えば、リケジョの大御所キュリー夫人は、たまたま夜の実験室に入り、闇のなかで不思議な青い光を放つ物質があるのを知って「ラジウム」を発見した、と書くと簡単なようですが、実際は1トンのウラン鉱を4年かかって精製し、得られたラジウムは、なんとわずか0.1グラムでした。気の遠くなる作業です。
無数の失敗、試行錯誤を重ねないと偶然は起きません。世紀の発明、発見における偶然は、膨大な努力の結果、あと一歩というときに、神様から「こうするといいよ」と、いたずらのようにもたらされます。神様からのごほうびのように。だめですよ、偉大な発明をしようとして、間違いを起こすような間抜けな助手をおこうなんて考えは。
やりたいことをやれ
赤崎さんは、研究者が青色LEDをあきらめてやめて行く中、「一人荒野をいく」心境で、淡々と研究を続けていきました。研究を振り返って、「ただ自分がやりたいことをやってきた」と言っています。だから、赤崎さんも天野さんも壁にぶつかってばかりの研究を「辛いと思ったことは一度もない」と口をそろえています。赤崎さんが若い研究者にかけたい言葉は「流行りものをやるのではなく、やりたいものをやりなさい」。
本田宗一郎氏も誰もやらないこと、不可能に挑戦する人でした。
簡単にあきらめないことは成功者に共通する姿勢のようです。