笑う経営 平成26年4月

暦はもう少しで今年度も終わりですね。っていうかあくまでも年度が変わった4月号です。2月の大雪で写真のように玄関先は雪の山。追いかけて~♪というより、お湯かけて~♪と歌いたいくらい、なかなか溶けない雪でした。

1国境論争

snowこの冬は記録破りの大雪に見舞われました。地上では人間たちが、オリンピック・パラリンピックで記録を破ることに躍起になっていますが、このところ天もまるで記録に挑んでいるかのようです。

長野県松本地方は積雪75㎝を記録。場所によっては1mを超えたところもあったようです。実に70年ぶりの大雪でした。松本は雪の少ないところですが、この冬はすっかり「雪国」になりました。

雪国といえば有名な文学作品があります。ずばり「雪国」。雪国を読んだことのない人でも、出だしの文章を一度は聞いたことがあるでしょう。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

声に出して読んでみて下さい。

さて、あなたは「国境」を何と読みましたか?「こっきょう」でしょうか「くにざかい」でしょうか。ちなみに私は「こっきょう」です。最初に読んだとき違和感を覚えました。群馬県と新潟県の間なのに「国境」とは何とおおげさな。旧国名でいえば上野国と越後国にまたがるわけだから、それで「国境」?。だとしても物々しい表現だなあと思いました。

以前NHKテレビの連想ゲームで、この冒頭一文を答えさせる問題が出た時、女性チームが自信満々に声を合わせて「こっきょうの、ながいトンネルを~」と唱和しました。もちろん正解!ですが、これを見て、ある放送評論家が激怒したそうです。えっ?何がいけないの?

「最近はことばを知らない人が多いので困る。解答者の女たちは黄色い声を張り上げて『コッキョウの長いトンネルを……』と言っていた。あれは『くにざかい』と読むのだぞ」と。

また、早稲田大学の国語学のある先生は、学生がこの部分を「こっきょうの……」と読んだとき、「ん?」と声を出しました。「くにざかいと読むべきだろ」の「ん?」です。

実は、冒頭文の「国境」をどう読むかという論争があるんです。「雪国」の冒頭を「こっきょう」と読むのは無学の一般人。教養人は「くにざかい」と「正しく」読むのさ、知らないの?と自慢する姿が目に浮かびます。

「くにざかい」派は、上野(こうづけ)の国と越後の国の境だから「くにざかい」が正しいとうのが言い分です。一方、「こっきょう」と読む派は、上越国境を「じょうえつこっきょう」と読むことが一般的であることを根拠としています。

しかし、これは両派とも間違ってると言わざるを得ません。確かに新潮文庫版の脚注には、トンネルは清水トンネル、雪国は越後湯沢としていますが、それはあくまでも小説のモデルになった場所。小説「雪国」は、「むかしむかしあるところに」と同様、雪国の場所を特定していません。具体的な地名はどこにも出てこないのです。純文学らしいところなんでしょうか。だから群馬県と新潟県の境と特定してはいけないのです。

「こっきょう」と「くにざかい」は辞書的意味はほとんど同じで、「国と国との境」。ただ「こっきょう」の方には「異なる国家間の境」と付け加えられています。

確かに「こっきょう」は外国との境を思わせます。「くにざかい」よりはるかに隔絶された感があります。日本国内の境であれば「くにざかい」が一見ふさわしいように思われます。

「こっきょう」と読むか「くにざかい」と読むのか、作者の川端康成は何も言っていません。ただ、「くにざかいでは語感的にいかがなものか」というニュアンスの発言はしているようです。

文学作品というものは作品が完成した時点で作者から離れ、独り立ちした存在になるものです。ですから川端康成がフリガナをふらなかった以上、作者自身が「こっきょう」のつもりで書いたとしても、世間が「くにざかい」と読むべきだと言えばそれが正しいとなるし、「こっきょう」が正しいと思えば、それも正しいといえます。つまりどちらも間違いではないということです。

どちらがよりふさわしいか、雪国全体を読んで考えてみました。主人公の島村は、親の遺産で何不自由なく東京で妻子と暮らている、小太りの男性。無為徒食の彼は、気ままにフランス文学の翻訳をしたり西洋舞踊の研究などをしているという設定です。

主人公は何回か「無為徒食の島村」と書かれています。変化も緊張感もない空虚な毎日を送っているといわんばかりで、彼にとっては日常が退屈を通り越して苦痛だったのかもしれません。そんな彼にとって「雪国」はまさに別の国。そこで駒子という芸者に出会い、温泉町でひたむきに生きる女たちに惹かれながらも異国からきた冷静な眼で雪国の世界を見つめる主人公の物語が展開されます。

主人公にとって雪国は、日常生活を送る現実の世界から遠く隔絶された別世界である必要があるのです。

「国境」という言葉は冒頭だけでなく、文中に何回も出てきます。

「・・その夜も国境の山々から7日ぶりで温泉場へ下りてくると・・」

「・・蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く・・」

「・・国境の山々はもう重なりも見分けられず・・」

山を形容する時に、しつこいくらいいちいち「国境の」をつけています。雪国に来ている島村が、「自分は別の国に来ているのだ」ということをことさら実感しようとしていると感じさせます。

主人公にとっては、長いトンネルを境に、大きく世界が変わっているのです。「雪国」は遠く隔絶された世界であるべきで、単に県と県の境くらいではだめなんです。それを表現するには、外国・異国との境を彷彿とさせる「こっきょう」という響きがふさわしいといえましょう。

全体を読んではじめて、冒頭でなぜ作者が、「国境」という大仰な表現を使ったか、わかるような気がしました。

2あなたの雪国

さて、お客様はお店に何を求めるでしょう。お客様は島村です。別世界を求めています。程度の差こそあれ、あなたのお店(会社)や扱う商品、サービスに、日常とは違う何か、日常を変えてくれる何かを求めているのです。お客様は夢を求めてやってくるといってもいいでしょう。それが証拠にプロ野球や宝塚といった夢を売る商売はいつも人気です。

あなたのお店も例外ではありません。何かしらお客様を喜ばせる、楽しませる、感動させる、驚かせる、満足させる、安心させる、笑顔にさせる、お客様にとって、あなたのお店は夢の空間、夢の国です。

「お店の扉をくぐると夢の国であった」

たとえあなたのお店の入口が、古く、錆びついてガタピシいう戸であったとしても、お客様にとっては島村を雪国に誘う「長いトンネル」なんです。夢の国ならずっと居たいですよね。何回も行きたいと思います。お店の外と中では別世界。入口がまさに国境(こっきょうと読む)であるくらいのお店づくりを徹底的に工夫してみましょう。

そしてお客様にこう言っていただけたら最高ですね。kalaoke

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