笑う経営 平成26年7月

もしもの時

warau201407-01つかぬことを伺いますが、あなたは死ぬ準備ができていますか?

驚いてます?いえ「死ぬ覚悟」を決めましたか、という意味ではありません。最近流行り?の「終活」のことです。今月は「死」に関する話が出てきますが、言いたいことはその裏返しの「生きる」ことについてですので、この段階で「縁起でもない!」とこのニューズレター、捨てないで下さいね。

「終活」とは、人生の終盤を前向きにとらえ生き方を考えたり、自分が死んだあとの指示などを書いておいたり、最期の準備をすることです。具体的には「エンディングノート」というものに書いて整理しておきます。

あちこちでこのエンディングノートの書き方セミナーが開かれています。もう出られた方、ノートを書かれた方も多いでしょうね。私はどうも何だか早々と人生の店じまいをするみたいで、今のところ書く気が起きません。

こういうセミナーは「そろそろ」が気になり始める中高年が参加するのだろいうと思いきや、結構幅広い年齢層から参加しているようです。

確かに年齢にかかわらず、人間いつ死ぬかはわかりません。交通事故なんて突然死と同じですし、地震や津波もそうです。私の父も病気である日突然でした。そういう時の準備は誰にも必要です。でも、やはりあまり考えたくはないですね。

父に聞いた話ですが、会計顧問をしていたある事業主が突然亡くなりました。その方は几帳面に帳簿をつける方で、亡くなったその日の朝までの現金残高の記録、売掛金残高の明細など、経理に関する情報がきちんと記録されていて、会計処理が全く困らなかったそうです。

一方、決算の時に、ちゃんと事業主が生きていてそこにいるのに、経理の内容がさっぱりわからない、なんてケースもあります。

エンディングノートは主に遺族が困らないことを書いておくようです。例えば、親交のあった人の連絡先、訃報の連絡をして欲しい人、して欲しくない人、延命措置をどうして欲しいか、葬儀のやり方、臓器提供を希望するかなど。細かくは、家紋のコピー、遺影写真の準備などまであります。

あれはとっておけ、これは寄付しろ、それは見ないで捨てろ、などとあまり細かく書かれても、面倒くさくて、かえって遺族が困るかもしれませんね。それなら私はこう書こうと思います。

「適当にやって」 「好きにして」

 

人生に終わりはない

あまり自分が死んだ時のことを詳細に考えるのってどうかな?と思ってしまいます。その辺はアバウトにして、もちろんいつかは誰しも死ぬんだけれど、生きている間は人生エンドレスと思って生きたい。なぜなら、平均寿命まであと何年しかないと考えると、もう大したことできないって思ってしまうからです。人生の後半の生き方が狭くなりませんか?消化試合みたいになってしまったらもったいないですよね。

warau201407-02葛飾北斎は何ともパワフルな画家でした。長野県小布施町の若松院に北斎の鳳凰天井画があります。サイズはなんと畳21枚分。この大作を仕上げたのが北斎86歳~87歳の時です。

「世界第一の画工になる」と本気で宣言し、生涯現役として描いた絵は3万点。88歳の時、「あと10年で本当の絵が描ける」と言ったそうですが、2年後に亡くなってしまいます。

きっと本人も10年は生きられないとわかっていたと思います。でもあと何年生きるかに関係なく、自分の目指す目標を最後まで持ち続けたのです。

あるお寺の住職さんの話ですが、定年を迎えた男性たちの会では必ず、定年前の仕事に熱中していた頃の思い出と定年後の生活がいかに張り合いがないかの話で盛り上がる(盛り下がる?)そうです。
「定年になったらゴルフ三昧の日々を楽しみにしていたのに一年で飽きちゃった。」
「苦労を掛けた家内と慰労を兼ねて世界一周船に乗ったけど思ったほどのことはなかった。」
「自分史を書き始めたけど、いざ書いてみると、自分の人生がそれほど面白いものでなく、書く気が失せた。」
「女房と夕食の材料を買いに行くのが楽しみだったのに、うるさいし、時間がかかるし、無駄なものを買うから、ついて来ないでと言われた。人生終わったって感じでウツになりそう。」

仕事をしていた時は自分の存在感が認められてた。他人のためになっているという張り合いがあったけれど、定年後は寂しさ、孤立感が募り、自分の存在を肯定すらできなくなってしまう。

沈黙する酒席にこの住職さんはこう説法しました。
「定年は仕事や職業の区切りであって、人生の定年ではないよ」
「人生に定年はない。死を迎えるその一瞬までは、だれもが現役なんだ。」「老後?余生?余った生なんてあるの?あったら頂戴、貧困のために死を待つ子供に持って行ってやるから」
「定年、老後、余生、こういう言葉にとらわれることはない。人はいつかは死ぬ。死ぬまでは人生の現役さ」

 

最後まで現役

年齢は考えているほど大きなハンディキャップではありません。少なくとも80歳までは生理的にそれほど衰えていないそうです。北斎のように、中高年から目覚ましい活動を成し遂げた例を見てみましょう。勇気が出ますよ。

ガリレオ:重要な著作「新科学講話」を著したのは七十代になってから。
イプセン:戯曲「人形の家」を書いたのは55歳。
ヴェルディ、ワーグナー:偉大な作曲は60前後。
ツェッペリン:名だたる試験飛行を試みたのが70歳の頃。
木喰五行上人:45歳で木喰戒を受け、戒律を守ること48年。56歳のとき、日本全国を廻り、仏像千体を刻み残す決心をし、89歳で達成。90歳で次の千体を刻む大願を立て、作物に励む。
warau201407-03笹本恒子:フォトジャーナリスト。日本初女性報道カメラマン。今年9月で100歳現役!

すごすぎますね。

最後まで現役で生きる秘訣があります。

「今日が本番、今が本番、この一瞬こそが本番」

という覚悟で生きることです。このことを禅では「而今」(にこん)といいます。現在が未来を創るのだから本番はいつも今。つまり「今でしょ」です。

経営者の年齢と共に、ビジネスに対する意欲も展望も薄れていきがちな中小企業にあっても、年齢に関係なく、ずっとおおいなる経営ビジョンを掲げて、活き活きと事業活動に取り組んでいいただきたいと思います。

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