笑う経営 平成25年10月

オリンピックとリニア

warau10富士山がやっと世界文化遺産に選ばれました。もう一つハラハラしながらも2020年東京オリンピックが決まりました。これで5回招致に失敗したトルコ・イスタンブールには気の毒ですが、日本も大阪、名古屋、東京と3回失敗しているのです。

日本はすでに震災復興、原発事故の収束、自然エネルギーの開発といった将来に向けて大きな課題を抱えています。ここでまた新たな目標が二つできたわけです。

課題や目標があるということは、もちろん日本の将来にとって大変いいことです。しかもどの課題も目標も大きくて困難なものばかりです。課題を克服することは、日本だけでなく世界の発展、ひいては人類の進歩にとって大きな実りとなるでしょう。

過去を振り返ってみれば、1964年の東京オリンピックは首都高速道路の整備や新幹線をもたらしました。東海道新幹線の開業は10月10日のオリンピック開幕のわずか9日前でした。それまで東京-大阪間、6時間半だったのがなんと半分の3時間10分で行けるようになりました。

オリンピック開催は交通網の整備だけでなく、スポーツはもちろん様々な面で進歩をもたらし、戦後の復興を牽引してくれました。

今回はリニア中央新幹線のプロジェクトが進行中です。東京-名古屋開業まであと14年ですからオリンピックには間に合いませんが、国賓の方々に体験乗車していただくことは可能のようです。

リニアの開通は様々な変化をもたらすでしょう。経済社会に起きるであろう変化は計り知れません。
交通手段としては世界最速時速五〇〇キロ、東京-名古屋が40分です。これは東京の多摩地区に220万都市ができたと同じことです。首都圏と1時間で行き来できる5千万人規模の都市圏が生まれます。

長野県内も様子が変わります。飯田市上郷に駅ができます。特に松本以南は飯田への鉄道が整備され高速化されることも考えられます。今まで首都圏からは陸の孤島などといわれていた飯田の街づくりが活発化することでしょう。自然と活かした長野県らしい地域づくりが進むことを期待します。

オリンピックの意義

近年は、スポーツ振興もさることながらオリンピック開催による経済振興のほうに期待する傾向が見えます。オリンピックはアマチュアリズムを基本とし、古代の平和の祭典の復興を目指すというのが当初の目的でしたが、国際政治に影響を受けたり、利用されたりしています。また1984年のロサンゼルス大会からショービジネス化し、1992年のバルセロナ大会はプロが参加しています。

単にスポーツの大会というだけにとどまらなくなったオリンピックですが、多くのアスリートにとってオリンピックに出ることは夢であり目標です。さらに出場するとなると本人もまわりも必ずと言っていいほど「メダルを」という言葉がついて回ります。しかも金メダルを期待する空気はすさまじいものがあります。

そもそもオリンピック競技に出場する意義って何でしょうか。

「オリンピックは、勝つことではなく参加することに意義がある」(フランス語: L’important, c’est de participer、直訳:重要なのは、参加することである)

クーベルタン男爵が言った言葉として有名ですね。東京オリンピックのとき当時のブランデージ会長がこの言葉を引用して挨拶をしました。それを仏教学者ひろさちやさんは、電光掲示板に英語で〝Not to Win,But to Take Part〟と表示されたと覚えているそうです。ひろさんは「参加する」というのはちょっと誤訳ではないかと言っています。

確かに、単に参加すればいいのか、という疑問はありました。ひろさんは「参加する」を「自己に与えられた役割をつとめる」と訳した方がオリンピック大会の精神にふさわしいといいます。つまり、「オリンピック大会で重要なことは、勝つことではない、それぞれの人がそれぞれの役割をつとめることである」と訳すべきだと述べています。

最善をつくす

では「それぞれの人の役割」って何でしょうか。それについてひろさんは、一位のチームは一位の役割を、六位のチームは六位の役割を果たすことが大事。弱小国は弱小国らしい役割を、強大国は強大国らしい役割を務めればいいとクーベルタンは言いたかったと言っています。

でも残念ながらこれではよくわかりません。「参加する」ではなく「役割を果たす」とした点はとてもいいと思います。ではどんな役割なのか。出場選手の役割って何でしょう。

まず「勝つこと」ですが、これは通常相手に勝つ、他の選手に勝つことです。他の選手すべてに勝てば一位、すなわち金メダルです。でもメダルが取れるかどうかは、普段の記録で大体わかりますよね。陸上にしろ水泳にしろ球技にしろ、普段通りの記録でもメダルレベルか、調子がよければメダルも可能か、自分が奇跡的に調子がよく、他のすべての選手がケガか病気か重大な心配事を抱えているか何かして絶不調だったとすれば上位に食い込める可能性があるか、事前にわかるはずです。

オリンピックがもし、勝つこと=メダルを取ることだとしたら、メダルを争えるレベルの選手か、自分がメダルを争えるレベルと錯覚している選手しか出場しなくなります。あるいは勝つためには何でもやる。その結果不正と違反だらけになります。

いい例が中国の全国運動会です。この大会は4年毎に開催されるので中国版五輪とも言われています。この大会は地方政府による金メダル至上主義で、メダルを取った選手に賞金(省によって800万円)が出るかわりに選手にとっては過剰なプレッシャーとなっています。

その結果、決勝リーグを有利にするために予選で消極的なプレーになったり、水泳の選手同士が殴り合いのけんかをしたり、レスリングで相手の選手にかみついたり、ラグビーで負けるとわかったら途中で試合を放棄したり、年齢詐称、ドーピングの発覚などボロボロな状態に。中国メディアからは「ドタバタ劇の傑作集」と揶揄されています。

メダルを目指すことはいいことです。ただメダルはあくまで羅針盤と考えましょう。そして出場目的を「自己の記録を更新すること」においてみたらどうでしょうか。より速く、より強く、より遠く、という言葉がありますが、それを自分に対して行うのです。勝つべきは相手でなく自分の記録です。自分の記録の壁を破る。すなわち「自己新記録を作るのが出場選手の役割」なのです。

自己の記録を下回ったけれど金メダルだった選手より、自己の記録を大幅に更新した20位の選手のほうが意義があるということです。こうなればどんなレベルの選手でも競技に最善が尽くせるはずです。

ちなみに、「参加することに意義がある」はクーベルタンの言葉ではありません。(なんと!)これはペンシルベニア大主教だったエセルバート・タルボットが1908年のロンドン大会の際にイギリス人から嫌がらせを受け意気消沈したアメリカの選手たちに語り勇気づけた言葉だそうです。

それをクーベルタン男爵が大会中の晩餐会でこの話をしたため、すっかりクーベルタンの言葉として伝わってしまいました。クーベルタンはこの席で「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」と語り、これが彼の言葉です。

どうですか「自分の記録、自分の限界に挑戦するのが選手の役割」とする考え、クーベルタンの思いに通じていると思いませんか。

では企業経営の役割は。売上高、新規客数、生産性、おもてなし度、何でもいいから今までの最高を出そうと挑戦することと言えますね。昨今、気候だって観測史上最高をたたき出していますよ。

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