インフォームドコンセント
医療の現場では、患者が医療を受ける際にインフォームドコンセントが必要だとされています。既にこの用語は定着し、耳馴染んでいます。インフォームドコンセントとは説明と同意とされていますが、正確には患者が医師から説明を受けた上で医療行為に同意することです。
診療を受ける際、患者は通常、医療機関と診療契約を締結しますが、これは一種の委任契約と考えられています。委任契約は、高度の専門知識が必要とされる事務の処理を委ね任せることです。
従来は病気の治療を委ね任せられた医師の裁量が広く認められていました。そうした時代には医療行為を選択する際に、医師は患者への説明を義務づけられるものとは考えられませんでした。
しかし言うまでもなく、患者の身体・生命は患者自身のものですから、どのような治療を受けるのかも患者自身が決定すべき事柄です。このように患者が持っている自己決定権が注目され、尊重される中で、病気の治療という目的において医療行為を選択する際に、医師が患者に十分な説明を行うことが義務であるとされるようになりました。
今では、医師がこうした説明義務を怠ると、自己決定権を侵害したとして損害賠償の対象とされています。
癌の告知
通常の治療においては説明義務にもとづくインフォームドコンセントは当然のことのように思われます。しかし、癌のような致死的な病気の場合は簡単ではありません。特に治療が望めない末期癌の場面では説明義務をどのように扱うのかは難しい問題です。
検査の結果、癌が既に手遅れの状態にあり余命が僅かであることが分かった場合でも、医師は患者に癌を告知したうえで残された選択肢につき説明を行うべきでしょうか。私も末期癌の告知につき訴訟で医療機関と争った経験があります。
この時医療機関側の主張は、治療が望めない末期癌では病気の告知は死の宣告に等しく、患者が自殺する恐れもあり説明義務はないというものでした。現在の医学界では、末期癌であっても告知すべきとする意見がありますが、消極的な意見も根強くあるようです。
先程述べた自己決定権を尊重するという理念に立てば、残り僅かであれば尚更のこと、残された人生をどう生きるのかを患者自身が決定すべきであると言えます。従って、末期癌であっても(寧ろ末期癌であればこそ)告知すべきことになります。
自己決定権にもとづく選択の権利や選択の自由は、時として選択する本人にとって大きな負担となり、大変な覚悟を求められることになるものです。
理念と現実
自己決定権の尊重という理念に立てば末期癌でも告知すべきことになりますが、現実には患者本人だけでなく、医療機関にとっても大変な負担です。
告知された患者は当初絶望感に打ちひしがれ、やがて絶望感は怒りとなって周囲にいる医療スタッフに対する感情の爆発となって表れるでしょう。こうした段階を乗り越えて患者は、漸く残された人生に立ち向かうことができるようになると言われています。
医療機関側にこうした負荷に対する準備が整わないまま理念だけを先行させてしまえば、患者は残された人生に立ち向かうまでの十分なケアを受けられないままとなり、患者の自己決定権は結局生かされないことになりかねません。末期癌の告知について消極的な意見はこうした現実に根ざしているようにも思われます。
癌の告知問題に限らず、現実を忘れ理念だけが先行することにならないようにすることが肝要です。
後記(ご挨拶)
これまで司法の世界は市民生活とはかけ離れた存在で、弁護士も市民からは遠い存在と思われてきました。しかし、裁判員裁判が始まり、司法の世界が今までよりも身近になっていくように思います。そんな時代の流れのなかで、私たちも、「社会生活上の医師」として、暮らしの中で起こる様々な法律問題を解決するための身近な存在になりたいと考えています。そのためには、弁護士からも積極的に情報発信していくことが必要だと考え、「みすず通信」を発行しています。