みすず通信 第3号

大震災と安全神話の崩壊

3月11日に宮城県の太平洋沖でマグニチュード9.0という人類史上最大級の大地震が発生し、その後に大津波が東日本の太平洋沿岸を襲い、広範囲にわたる未曾有の被害をもたらしました。翌12日未明には長野県北部地震が誘発され、栄村が大きな被害を受けています。

この大震災で犠牲となった方々のご冥福を祈るとともに、被災地の方々の一日も早い復旧、復興を願わずにはいられません。

また、この大震災で東京電力の福島第一原子力発電所では何日間も電源を喪失し、原子炉の冷却機能が奪われました。その結果、水素爆発等により大量の放射性物質が外部に流出するという深刻な事故となり、世界に衝撃が走りました。関係者の懸命な復旧作業にもかかわらず、未だに原発事故は収束の見通しが立たない状況が続いています。

今回の原発事故は想定外の事態といわれていますが、国の安全基準では長期間にわたる電源喪失といった事態は原子炉の設計基準から除外されていたというのですから、確かに想定外ということになります。

もっとも、こうした安全基準を設定したこと自体の是非や責任の所在については、今後の議論を待つことになります。しかし、只一つ間違いないことは、人類は未だ真の意味で原子力をコントロールする技術を有していないことが誰の目にも明らかにされたということです。

今回のような事故においても、放射性物質を直ちに無力化し、或いは封じ込める技術を持ってこそ原子力発電は本当に安全であると言えるからです。しかし、専門家の叡知を結集しても解決策が見えない状態が未だに続いています。

安全神話は崩壊しました。

国家像の見直し

原子力発電は、国家のエネルギー政策にもとづき、コスト面や環境面に優れたエネルギーとして推進されてきました。背景には大きな国家像とも言うべきものがあったはずです。

これまで経済力や軍事力は国力の指標とされ、経済的な豊かさが国の豊かさとされてきました。そして、経済力を支える安定的なエネルギー基盤として原子力発電は必要不可欠であるとされ、安全神話のもとで推進されてきたのです。

一定の経済力を有することが国の豊かさや国民の幸福の必要条件であることは疑いがないでしょう。

しかし、原子力発電の安全神話が崩壊し、放射性物質の流出による環境汚染が広がりを見せ、多くの国民に甚大な被害が生じることが想定される今、もう一度国のあり方を見直す必要があるように思います。今回の原発事故を受けて、経済力だけを追い求めることが本当に国民の幸福に繋がっているのか、毎年3万人以上の自殺者を出す国が本当に豊かな国なのかを考えずにはいられません。

個人の幸福とは何かを見つめ直し、そのためにはどんな国の姿が望ましいのかを改めて見つめ直す時期にあるように思います。一日も早い原発事故の収束と被災地の復旧・復興を願いつつ、私たち一人一人が新しい国家像を真剣に考えることが大切なのではないでしょうか。

misuzu3

後記(ご挨拶)

これまで司法の世界は市民生活とはかけ離れた存在で、弁護士も市民からは遠い存在と思われてきました。しかし、裁判員裁判が始まり、司法の世界が今までよりも身近になっていくように思います。
そんな時代の流れのなかで、私たちも、「社会生活上の医師」として、暮らしの中で起こる様々な法律問題を解決するための身近な存在になりたいと考えています。そのためには、弁護士からも積極的に情報発信していくことが必要だと考え、「みすず通信」を発行しています。
This entry was posted in みすず通信. Bookmark the permalink.