みすず通信 第2号

取調べの可視化って何?

1 月 6 日付けの新聞報道で、政府が「取調べ可視化」に向けた法律の改正案を国会に提出する方針を固めたことが報じられました。

「取調べの可視化」とは、犯罪捜査における取調べの様子を録画・録音することです。何故、このような可視化が必要とされているのでしょうか。

直接的なきっかけは、昨年、郵便不正事件で村木厚子さんの無罪が確定したことです。この事件では、担当した主任検察官が押収した証拠物(フロッピーディスク)を改ざんしたとして、証拠隠滅罪で逮捕・起訴されるという前代未聞の事態になり、大きく報道されました。

misuzu2-1この事件の裁判では、関係者の取調べにあたった検察官が強引な誘導を行って捜査側のストーリーに沿った供述調書を作成していたことも明らかにされ、裁判所は供述調書の多くを証拠として採用しませんでした。こうした取調べにより作られた調書は広い意味で証拠の改ざんということもでき、証拠物の改ざんと同根と言えるでしょう。

正義の暴走

これまで、検察官は社会の悪を暴き不正をただす正義の味方というイメージが定着していました。しかし、こうした事態に直面し、従来のイメージが傷つき、検察庁の威信は大きく揺らいでいます。

検察官は、警察が捜査した結果を受けて、犯罪の嫌疑をかけられた人(被疑者)を起訴するかどうかを決める権限(公訴権)を独占しています。

また、検察官は自ら捜査する権限(捜査権)も持っていますから、その点は警察官と同じです。しかし、検察官は法律のプロとして警察官が違法な捜査を行わないように監督し、また被疑者が無罪であることを示す証拠についても積極的に発見することが求められています。「こいつは悪い奴だから絶対に有罪にしよう。」と決めて捜査や起訴をするわけではありません。

こうした検察官の役割を「公益の代表者」と呼んでいます。

郵便不正事件では、検察官が証拠を改ざんしてまでも村木さんを有罪にしようとしたとされているのですから、検察官が公益の代表者の立場を忘れ、正義が暴走してしまったということができるでしょう。

全面可視化に向けて

このような正義の暴走を食い止める手段の一つとして、従来から取調べの可視化を法制化することが提言されてきましたが、検察庁や警察の反対により未だに法制化されていません。

平成19年に強姦罪等で有罪判決を受けて服役した後に真犯人が見つかった富山冤罪事件や選挙法違反事件で被告人全員が無罪となった志布志事件などが相次いだことをきっかけに、ようやく検察庁では裁判員裁判事件などを対象に取調べの可視化が導入されましたが、取調べ状況のごく一部を録画するに止まっています。

しかし、強引な誘導などの違法・不当な取調べがあったかどうかを確認するためには、取調べの全過程を通じ、取調室で一体何があったのかを知ることが必要です。一部録画では、録画していないときに何があったのかが分からないため、根本的な解決とはなりません。

misuzu2-2実は、欧米やお隣りの韓国などでは既に取調べの全面可視化が実現しています。しかし、全面可視化により取調べが困難になったとか治安が悪化したということはないようです。

報道では、今回の法制化では、事件数が膨大であることや公判が長期化することなどを理由に全面可視化は見送られる可能性が高いとされていますが、見送りの理由は根拠に乏しいものです。わが国でも、違法・不当な取調べをなくし冤罪を根絶するため、取調べの全面可視化を一日も早く実現することが強く望まれます。

後記(ご挨拶)

これまで司法の世界は市民生活とはかけ離れた存在で、弁護士も市民からは遠い存在と思われてきました。しかし、裁判員裁判が始まり、司法の世界が今までよりも身近になっていくように思います。
そんな時代の流れのなかで、私たちも、「社会生活上の医師」として、暮らしの中で起こる様々な法律問題を解決するための身近な存在になりたいと考えています。そのためには、弁護士からも積極的に情報発信していくことが必要だと考え、「みすず通信」を発行しています。

☆当事務所に、新年より平林敬語弁護士が加わりました。
若いフレッシュな戦力を得て、今後、より一層質の高いリーガルサービスを提供できるよう努力していく所存です。
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